「遊牧の民の調べコンサート」

「遊牧の民の調べ」コンサートは、北アジア、中央アジアに住む遊牧民の音楽および文化を日本に多角的に紹介するために2003年秋より断続的に継続されてきたネルグイプロジェクトが発展した結果、今では全国のあちらこちらで開催されるようになりました。

北アジアから中央アジアへかけてのモンゴル地域は、 遊牧文化を現代に残す貴重な地域です。これら地域と日本は、戦前、戦中の満州国建国以来非常に深い関係を持ち続けてきましたが、日本の敗戦、モンゴル地域の社会主義化以降、1990年の社会主義崩壊を迎えるまで交流が途絶えていました。 モンゴルの民主化、資本主義化以降は経済交流が盛んになり、近年に至っては大相撲界でのモンゴル力士の活躍などで、「モンゴル」という言葉をよく目にするようになりはじめています。日本の教育界においては、比較的古くより小学校の教科書に「スーホの白い馬」が収録されてきたため、「馬頭琴」という楽器について耳にしたことのある人は多いようです。
思えば日本、 日本人と「モンゴル」の関係は様々な形で以前からあり、満州時代を経験した人も、その多くが「蒙古」という名で、 比較的親しみを感じているわけですが、 これら地域に生きる人々の生活文化についての理解はほとんど進んでいないのが現状です。
モンゴル国は、 1921年以降ソビエトの影響の元、 1990年まで社会主義国家でした。社会主義政策の元、民族楽器である馬頭琴は西洋クラシック音楽的演奏をその発展目標とし、特に1970年代以降、演奏方法の統一化や演奏曲に大きな変化がもたらされてきた歴史を持っています。グローバリゼーションの元、世界の均質化が進んでいる現代において、モンゴルの伝統音楽、民族音楽もまたその流れの中で変わってきています。そして、こういった流れの中で、従来の伝統的演奏方法や演奏曲は失われてようとしています。
ネルグイプロジェクトは、ゴビ地域にて遊牧生活を営みながら演奏を続けるネルグイ氏の紹介を通じて、「スタンダード演奏にとらわれない自由な馬頭琴」を保存し、同時に多くの人々にそのすばらしさを知ってもらうことを目的とし2003年からコンサート活動を始めました。モンゴル国で、いわゆる音楽教育を受けたプロフェッショナル演奏家ではなくて、あえて、独学で、自由に、何にもとらわれることなく、音楽に携わってきた「在野の演奏家」を日本に招聘して、その楽器の真のおもしろさ、音楽の楽しさを伝えたいと願っています。2011年より、ネルグイ氏が来られなくなったため、ドルジパラム氏が来日することとなりましたが、「NPOしゃがぁならではのこだわりのコンサートをお届けする」という点で、すばらしい演奏者であると自信をもって、これから紹介していきます。ネルグイ氏と同様、 「在野の演奏家」 として、 その実力はモンゴル国でも認められた折り紙付きのすばらしいものです。
2007年春以降は、ネルグイ氏の他に、モンゴル国最西端地域にて、同じく遊牧生活を行うカザフ人の演奏家もお呼びしています。カザフ民族はモンゴル民族と並ぶ大きな遊牧民族であり、カザフスタン、モンゴル国、中国など広い地域に広がって生活しています。モンゴル民族が仏教徒であるのに対して、カザフ民族はイスラム教徒であり、中央アジア、西アジア、トルコ文化の特徴を多く担っています。特にモンゴル国在住のカザフ民族は伝統固有の文化を強く残していることにおいて有名であります。
そんなカザフから、民族楽器ドンブラの名手クグルシン氏をお呼びしました。彼もまた、教育によってなった演奏家ではなくて、自由にいじくっているうちに覚えたという演奏家であります。また、彼は歌がうまいことでも有名で、宴会などの席に呼ばれて演奏に出かけることもあるなど、民衆の中で演奏を続けてきたという、ネルグイ氏と非常に似た演奏家であります。カザフ民族については、 日本ではまだほとんどなじみがなく、 カザフの民族音楽を生で聴く機会は非常にまれだと思われます。
コンサートでは演奏者の生活するゴビ地域、アルタイ山脈北部、モンゴル西部の自然環境、生活風景をスライドを見せながら紹介し、モンゴルの馬頭琴、 カザフのドンブラおよび歌を聴く構成で45分~120分を楽しめるものとなっています。
真の国際理解は互いの文化を理解し尊重しあうことから始まります。馬頭琴、ドンブラ、カザフ歌謡、モンゴル歌謡を通して、多様な文化の存在、また文化が多様であることのおもしろさを伝え、お互いを尊重しあう相互理解、さらにその上に成り立つ相互交流を深めていくことを主旨としたコンサートであります。


開催場所募集

一般向け通常コンサート:
一公演(90~約120分途中15分休憩あり)==15万円
もしくは、チャージバック式(チケット販売を行い、収益を主催者と分配)もOKです。
いずれの場合も、"可能であれば"公演日もしくは前日の 食事と宿泊場所を提供してください。どんなところでも大丈夫です。←結構、これが大切なんです。貧乏ツアーですので。
チケット料金を安くしてたくさん集めていただけたら幸いです。「面白かったから、またいこう」と思ってくださったときに、お気楽にチケットを買えるような値段が、きっといいです。
なお、宣伝、チケット販売などはそれぞれの地域の主催者にお任せします。

教育機関・福祉施設等向けコンサート:
小学校、幼稚園、保育園、特殊教育諸学校などについては、条件付(一日二箇所以上公演を開催すること)で、一回35,000円(45~60分:曲数10曲程度・スライド上映解説含む)にて承ります。
モンゴルとカザフの音楽、写真、言葉に直接触れることのできる貴重な経験となると思います。ぜひ、お近くのみなさんでお声を掛け合ってみてください。


上記のほか、様々な形態のコンサート(ディナーショー、宴会、レクチャーコンサートなどなど)に対応できます。コンサート時間なども相談承ります。


演奏者プロフィール

ヨンドン ネルグイ(2003~2010,2016,2019)

ドンド・ゴビに暮らす遊牧民。5歳の時に、板きれと紐で馬頭琴を自作して演 奏を始める。(当時はまだ「モリンホール=馬頭琴」という呼び名はな く、単に「ヒル(弦楽器)」と呼ばれていたそうだ。)その後独学で奏法を極め、全モンゴル馬頭琴大会で金メダル4つ、銀メダル2つ、銅メダル3つを受賞。 モンゴル国・第一文化功労者。北極星勲章(モンゴル文化省最高勲章)受賞。ゴビの天才と讃えられ、社会主義時代は劇場勤めの演奏家としても活動。旧東側諸 国でも演奏。国立馬頭琴交響楽団の設立当時のメンバーでもあった。ウランバートルの高名な馬頭琴職人・バイガルジャフブ氏も彼の弟子の一人。モンゴルの民 主化後は故郷のゴビに帰り、家族とともに遊牧生活を続け、呼ばれればその自慢の腕前を披露する生活を楽しんでいる。
ちなみに、彼がゴビで身につけ た奏法は、近年統一されたいわゆる スタンダードな奏法とは異なるのですが、ネルグイ氏特有の運指法がもたらす複雑なフレージングは、協和音、不協和音を次々と繰り出し、その分厚い音色は、 まさにゴビの自然の雄大さを思わせる。また、時折り見せるユーモラスなアレンジが何とも言えないほのぼのとした空気を醸し出すのも魅力。

アマースレン ドルジパラム(故人 2011~2015,2017~2018)

ドンドゴビ県デレン郡出身。現在同県ウルジート郡在住。
「馬頭琴と歌の故郷」と呼ばれ、20 世紀最高のオルティンドー ( モンゴル民謡)歌手とたたえられるノロブバンザド女史の故郷デレン郡にて、子供の頃より、周囲にいたたくさんの馬頭琴演奏者の得意とする 様々な楽曲を見よう見まねで覚え、現在に至る。
社会主義時代に収めた専門職業は医師。医師免許を取って後、しばらく医大にて教鞭をとったが、治療行為を行うと、不思議と体をこわすなどの理由で、医学関係を去り、放浪する日々を送る。
特に舞台演奏 活動をしてきたわけではないが、全国芸術コンクール馬頭琴部門で金 メダル6 回、銀メダル1 回、銅メダル1 回、オルティンドー部門で銅 メダル1 回獲得した経歴を持つ。ゴビの天才馬頭琴弾きと称されるネ ルグイ氏 (2003 ~ 2010 年の間、同事業にて招聘)と常に金メダルを 競い合い、2003 年には CD「モンゴル国精選馬頭琴演奏者曲集 ( 非売品 ; ユネスコによる制作 )」に、馬頭琴曲ジョノンハルが収録されるに至 る。
2006 年にドンドゴビ県により最高馬頭琴奏者と認定を受け、さらに 2007 年には文科省により文化功労者勲章を授与された。舞台芸術化が進み、馬頭琴演奏者と歌手というように役割分担されていく中、馬頭琴による弾き語りが出来る演奏者は減っていったが、氏は民謡、賛歌、物語を弾き語りできる希有な演奏者とし て有名である。
さらに、編曲に優れ、セカンドパートなどを即興で演奏するなど、特にクグルシン氏のカザフ楽曲とのアンサンブルに意欲的に取り組む。
またボルジギン馬頭琴コンクールで優勝を重ねるなど、古い楽曲を古いタイプの馬頭琴、また奏法で演奏することに長けた貴重な演奏者であった。
ボルジギン馬頭琴を使っての演奏を日本で初めて披露することを約束していたのだが、2018年9月、急逝…。

ボコン ボルドー(2020~)

モンゴル国バヤンウルギー県在住。遊牧民。
モンゴル国アカデミーによって正式に認定された英雄叙事詩語り手(2020年現在9名が認定されている)。楽器が好きでトブショール、馬頭琴、イケル、ツォール、琴など様々な楽器を独学にて習得、喉歌(ホーミー)も歌いこなす。長大な叙事詩をいくつも記憶しており、最長のものは詠唱するのに28時間を要するという。歌、曲ともに土地に伝わる古いモノを知るのみであり、舞台上演の経験は社会主義崩壊後のため、舞台慣れしておらず、アンサンブルなど不可能であるが、叙事詩を詠唱するときの集中力は驚嘆に値する。歴史的に由緒正しきを誇り、古いモンゴルの習慣、言語などを今に残す希有な存在とされるウリヤンハイ人である。

リヤス クグルシン(2007~)

1958年生まれ、バヤンウルギー在住。専門は医師のため、アイマグ中心地の病院に勤務しているが、田舎に家畜を飼っており、適宜世話に出かけながら、頼まれると出向いてドンブラ演奏をする。近年、バヤンウルギー最大の旅行社ブルーウルフ社に頼まれ、旅行者に向けた演奏会なども演奏をするようになったほか、 カザフスタンから政府関係者が来たときに呼ばれることも多い。
ドンブラを弾く父親の横で、聴きながら覚え、9歳のころ、初めて学生コンクールに出場した。しかし、非常に恥ずかしがり屋だったため、審査員には不評だった。学校の成績が良かったため、医学の道に進んだが、 20歳頃に頼まれて舞台や宴会で歌を歌うようにsなった。医者になってしばらくの間は地方勤務をしており、この間に多くの物語、歌、曲を年配の人々から学び覚えた。現在はバヤンウルギーアイマグ、中央病院人事課勤務を定年退職、ウルギー市内在住。 夏には120kmほど西にあるアルタイ・ソムの自宅で家畜の世話をしている。