コンサート総合パンフレットはこちらからダウンロードできます。

過去のコンサート実績一覧はこちらをご覧ください。

開催場所募集

一般向け通常コンサート:
一公演(90~約120分途中15分休憩あり)==15万円
もしくは、チャージバック式(チケット販売を行い、収益を主催者と分配)もOKです。
いずれの場合も、"可能であれば"公演日もしくは前日の 食事と宿泊場所を提供してください。どんなところでも大丈夫です。←結構、これが大切なんです。貧乏ツアーですので。
チケット料金を安くしてたくさん集めていただけたら幸いです。「面白かったから、またいこう」と思ってくださったときに、お気楽にチケットを買えるような値段が、きっといいです。
なお、宣伝、チケット販売などはそれぞれの地域の主催者にお任せします。

教育機関・福祉施設等向けコンサート:
小学校、幼稚園、保育園、特殊教育諸学校などについては、条件付(一日二箇所以上公演を開催すること)で、一回35,000円(45~60分:曲数10曲程度・スライド上映解説含む)にて承ります。
モンゴルとカザフの音楽、写真、言葉に直接触れることのできる貴重な経験となると思います。ぜひ、お近くのみなさんでお声を掛け合ってみてください。
上記のほか、様々な形態のコンサート(ディナーショー、宴会、レクチャーコンサートなどなど)に対応できます。コンサート時間なども相談承ります。

 


コンサートの紹介

 「遊牧の民の調べ」コンサートは、北アジア、中央アジアに住む遊牧民の音楽および文化を日本に多角的に紹介するために2003年秋より断続的に継続されてきたネルグイプロジェクトが発展した結果、今では全国のあちらこちらで開催されるようになりました。

北アジアから中央アジアへかけてのモンゴル地域は、 遊牧文化を現代に残す貴重な地域です。これら地域と日本は、戦前、戦中の満州国建国以来非常に深い関係を持ち続けてきましたが、日本の敗戦、モンゴル地域の社会主義化以降、1990年の社会主義崩壊を迎えるまで交流が途絶えていました。 モンゴルの民主化、資本主義化以降は経済交流が盛んになり、近年に至っては大相撲界でのモンゴル力士の活躍などで、「モンゴル」という言葉をよく目にするようになりはじめています。日本の教育界においては、比較的古くより小学校の教科書に「スーホの白い馬」が収録されてきたため、「馬頭琴」という楽器について耳にしたことのある人は多いようです。
思えば日本、 日本人と「モンゴル」の関係は様々な形で以前からあり、満州時代を経験した人も、その多くが「蒙古」という名で、 比較的親しみを感じているわけですが、 これら地域に生きる人々の生活文化についての理解はほとんど進んでいないのが現状です。
モンゴル国は、 1921年以降ソビエトの影響の元、 1990年まで社会主義国家でした。社会主義政策の元、民族楽器である馬頭琴は西洋クラシック音楽的演奏をその発展目標とし、特に1970年代以降、演奏方法の統一化や演奏曲に大きな変化がもたらされてきた歴史を持っています。グローバリゼーションの元、世界の均質化が進んでいる現代において、モンゴルの伝統音楽、民族音楽もまたその流れの中で変わってきています。そして、こういった流れの中で、従来の伝統的演奏方法や演奏曲は失われてようとしています。
ネルグイプロジェクトは、ゴビ地域にて遊牧生活を営みながら演奏を続けるネルグイ氏の紹介を通じて、「スタンダード演奏にとらわれない自由な馬頭琴」を保存し、同時に多くの人々にそのすばらしさを知ってもらうことを目的とし2003年からコンサート活動を始めました。モンゴル国で、いわゆる音楽教育を受けたプロフェッショナル演奏家ではなくて、あえて、独学で、自由に、何にもとらわれることなく、音楽に携わってきた「在野の演奏家」を日本に招聘して、その楽器の真のおもしろさ、音楽の楽しさを伝えたいと願っています。2011年より、ネルグイ氏が来られなくなったため、ドルジパラム氏が来日することとなりましたが、「NPOしゃがぁならではのこだわりのコンサートをお届けする」という点で、すばらしい演奏者であると自信をもって、これから紹介していきます。ネルグイ氏と同様、 「在野の演奏家」 として、 その実力はモンゴル国でも認められた折り紙付きのすばらしいものです。
2007年春以降は、ネルグイ氏の他に、モンゴル国最西端地域にて、同じく遊牧生活を行うカザフ人の演奏家もお呼びしています。カザフ民族はモンゴル民族と並ぶ大きな遊牧民族であり、カザフスタン、モンゴル国、中国など広い地域に広がって生活しています。モンゴル民族が仏教徒であるのに対して、カザフ民族はイスラム教徒であり、中央アジア、西アジア、トルコ文化の特徴を多く担っています。特にモンゴル国在住のカザフ民族は伝統固有の文化を強く残していることにおいて有名であります。
そんなカザフから、民族楽器ドンブラの名手クグルシン氏をお呼びしました。彼もまた、教育によってなった演奏家ではなくて、自由にいじくっているうちに覚えたという演奏家であります。また、彼は歌がうまいことでも有名で、宴会などの席に呼ばれて演奏に出かけることもあるなど、民衆の中で演奏を続けてきたという、ネルグイ氏と非常に似た演奏家であります。カザフ民族については、 日本ではまだほとんどなじみがなく、 カザフの民族音楽を生で聴く機会は非常にまれだと思われます。
コンサートでは演奏者の生活するゴビ地域、アルタイ山脈北部、モンゴル西部の自然環境、生活風景をスライドを見せながら紹介し、モンゴルの馬頭琴、 カザフのドンブラおよび歌を聴く構成で45分~120分を楽しめるものとなっています。
真の国際理解は互いの文化を理解し尊重しあうことから始まります。馬頭琴、ドンブラ、カザフ歌謡、モンゴル歌謡を通して、多様な文化の存在、また文化が多様であることのおもしろさを伝え、お互いを尊重しあう相互理解、さらにその上に成り立つ相互交流を深めていくことを主旨としたコンサートであります。
コンサートのきっかけとなったネルグイ氏との出会い、およびその後の展開は”ことの起こり”をご覧ください。(← クリック)


演奏者プロフィール
ヨンドン ネルグイ(2003~2010の期間コンサートに参加)

ドンド・ゴビに暮らす遊牧民。5歳の時に、板きれと紐で馬頭琴を自作して演 奏を始める。(当時はまだ「モリンホール=馬頭琴」という呼び名はな く、単に「ヒル(弦楽器)」と呼ばれていたそうだ。)その後独学で奏法を極め、全モンゴル馬頭琴大会で金メダル4つ、銀メダル2つ、銅メダル3つを受賞。 モンゴル国・第一文化功労者。北極星勲章(モンゴル文化省最高勲章)受賞。ゴビの天才と讃えられ、社会主義時代は劇場勤めの演奏家としても活動。旧東側諸 国でも演奏。国立馬頭琴交響楽団の設立当時のメンバーでもあった。ウランバートルの高名な馬頭琴職人・バイガルジャフブ氏も彼の弟子の一人。モンゴルの民 主化後は故郷のゴビに帰り、家族とともに遊牧生活を続け、呼ばれればその自慢の腕前を披露する生活を楽しんでいる。
ちなみに、彼がゴビで身につけ た奏法は、近年統一されたいわゆる スタンダードな奏法とは異なるのですが、ネルグイ氏特有の運指法がもたらす複雑なフレージングは、協和音、不協和音を次々と繰り出し、その分厚い音色は、 まさにゴビの自然の雄大さを思わせる。また、時折り見せるユーモラスなアレンジが何とも言えないほのぼのとした空気を醸し出すのも魅力。

アマースレン ドルジパラム

ドンドゴビ県デレン郡出身。現在同県ウルジート郡在住。
「馬頭琴と歌の故郷」と呼ばれ、20 世紀最高のオルティンドー ( モンゴル民謡)歌手とたたえられるノロブバンザド女史の故郷デレン郡にて、子供の頃より、周囲にいたたくさんの馬頭琴演奏者の得意とする 様々な楽曲を見よう見まねで覚え、現在に至る。
社会主義時代に収めた専門職業は医師。医師免許を取って後、しばらく医大にて教鞭をとったが、治療行為を行うと、不思議と体をこわすなどの理由で、医学関係を去り、放浪する日々を送る。
特に舞台演奏 活動をしてきたわけではないが、全国芸術コンクール馬頭琴部門で金 メダル6 回、銀メダル1 回、銅メダル1 回、オルティンドー部門で銅 メダル1 回獲得した経歴を持つ。ゴビの天才馬頭琴弾きと称されるネ ルグイ氏 (2003 ~ 2010 年の間、同事業にて招聘)と常に金メダルを 競い合い、2003 年には CD「モンゴル国精選馬頭琴演奏者曲集 ( 非売品 ; ユネスコによる制作 )」に、馬頭琴曲ジョノンハルが収録されるに至 る。
2006 年にドンドゴビ県により最高馬頭琴奏者と認定を受け、さらに 2007 年には文科省により文化功労者勲章を授与された。舞台芸術化が進み、馬頭琴演奏者と歌手というように役割分担されていく中、馬頭琴による弾き語りが出来る演奏者は減っていったが、氏は民謡、賛歌、物語を弾き語りできる希有な演奏者とし て有名である。
現在は親戚の家でのんびりと遊牧生活を送っている。

リヤス クグルシン

1958年生まれ、バヤンウルギー在住専門は医師のため、アイマグ中心地の病院に勤務しているが、田舎に家畜を飼っており、適宜世話に出かけながら、頼まれると出向いてドンブラ演奏をする。近年、バヤンウルギー最大の旅行社ブルーウルフ社に頼まれ、旅行者に向けた演奏会なども演奏をするようになったほか、 カザフスタンから政府関係者が来たときに呼ばれることも多い。
ドンブラを弾く父親の横で、聴きながら覚え、9歳のころ、初めて学生コンクールに出場した。しかし、非常に恥ずかしがり屋だったため、審査員には不評だった。学校の成績が良かったため、医学の道に進んだが、 20歳頃に頼まれて舞台や宴会で歌を歌うようにsなった。医者になってしばらくの間は地方勤務をしており、この間に多くの物語、歌、曲を年配の人々から学び覚えた。現在はバヤンウルギーアイマグ、中央病院人事課勤務となったが、 夏には120kmほど西にあるアルタイ・ソムの自宅で家畜の世話をしている。


コトの起こり

ことの起こりは1998年にさかのぼる。
筆者がいつも行動を共にする運転手が、「ゴビにすごいやつがいるぞ」と教えてくれた。それでは、ということで、ドンドゴビアイマグへと車を走らせ、 400kmほどを走ったところで、小さなゲルにい
 たネルグイと出会った。この時のことは、モンゴル情報紙しゃがぁvol24に詳しく書かれているから、ここでは割愛しよう。
とにかく、彼の演奏は、それまで聴いてきた沢山の馬頭琴とは全く異なり、全身総毛立つかのような感覚を覚えたのだ。何がすごいかは、言葉で表せないのだが、とにかく、「何か、すごい」のだ。
とりあえず、録画して帰国し、数ヶ月後、のどうたの会の嵯峨治彦にビデオを見せた。すると、彼もまた、「すごい!」というではないか。とにかくすごいとしか言えなかった筆者だが、音楽的にも馬頭琴的にも、プロの目からみて「すごい」というお墨付きをもらえて、いたくいい気持ちになったのだ。

そのいい気持ちが、そのまま勢い余ってしまい、思い立って一晩で、CD「ゴビの馬頭琴弾き」は出来上がった。
現地のゲルの中でDATで録音してきた音源をPCに取り込んで、マスタリングらしいことは全くせず、いや、出来ず、出来上がったCDを自分で聴いてみて、「うん、確かにこんな音だった」と作ったCDを、調子に乗って売り出してみた。
すると、なんとも意外にも、お褒めのお言葉を頂けたのだ。
「草原のゲルの中で、間近に聴いた音に似ている」
「弦のこすれる音も聞こえる」
と、筆者が伝えたいと思った草原の馬頭琴の音が、すばらしい偶然の結果としてCDに納められたのである。
沢山の人に、草原で聴く馬頭琴の音色を伝えたいというだけでできあがったのが、ネルグイを日本に知らしめる最初のCDであった。
さて、CDの反響が良かったことに気をよくした筆者は、調子に乗って、「彼の住むゴビに行って演奏を聴こう!」と言い出したのだ。嵯峨治彦を特別スペシャルゲストに迎え入れ、札幌テレビまで巻き込んでの、ゴビツアーが2000年夏敢行された。ビデオでネルグイ奏法を研究、習得してきた嵯峨治彦はその腕前をネルグイに披露し、一番弟子として迎え入れられるなど、たくさんのすばらしい思い出を、筆者のみならず、多くのツアー参加者の方々に残したツアーとなった。
なによりも、このツアーの収穫は、やっぱり彼は宴会で本当の本来の彼の演奏となることが明確になったことだろう。ゴビ大平原で満天の星空の元、暗くなってまで続いた宴会は馬頭琴のあるべき場所、モンゴル文化の原点を教えてくれたのである。

そして、今度は、「あの宴会みたいなコンサート」いや「コンサートみたいな宴会」の楽しさ、すばらしさを日本に伝えられないだろうか?という話になってきたのだ。
のどうたの会、モンゴル情報紙しゃがぁ共催で、2003年秋、ついにネルグイプロジェクトが始動となったのである。
2003年時のコンサートは単なる馬頭琴コンサートというものではなく多角的にモンゴル文化を伝えることをも主眼に起き、基本的に5部構成の大規模な内容であった。
第一部:スライド&トーク「ゴビと言うところ」(西村幹也)
ネルグイの住むゴビの自然環境を観客に理解してもらう
第二部:ネルグイ・ソロコンサート(ネルグイ・西村[司会])
彼の生い立ちなどを曲間に紹介しながら、ソロ演奏を楽しんで頂く
第三部:モンゴル民話語り(野花南:田中孝子・嵯峨治彦)
馬頭琴伝説の紹介
第四部:嵯峨治彦・ソロコンサート(嵯峨治彦)
のどうた(ホーミー)の紹介もしながら、現代の馬頭琴曲について語る
第五部:ネルグイ&嵯峨師弟セッション
草原で馬頭琴をひたすらに弾いてきたモンゴル人演奏家と世界中の様々な音楽を知る外国人演奏家のセッションから、馬頭琴の将来、未来を感じてもらう

という、手前みそながらも、やはり豪華な内容で、北は北海道のオホーツク海岸沿いから南は沖縄までを行脚する大コンサートツアーとなった。
まさにゴビの熱風、日本列島を襲うとでもいわんばかりの彼のパワフルな演奏は多くの人々に受け入れてもらえたことと思う。
そして、こういった大反響とアンコールの要望に応えようとプロジェクトは続行することになった。
2004年ゴールデンウィークには関西、関東地域で(しゃがぁ主催)、
2005年2月~4月には九州を中心に西日本地域で(しゃがぁ主催)、
2006年6月には再び北海道で(のどうたの会主催)、
様々な形のコンサートに対応しながら、そのファンを増やし続けている。
もともとゲルにあった馬頭琴が、舞台に去ってしまって数十年になる。
そんな馬頭琴を人々の生活に近いところに再び引き戻すために、彼のような自由な演奏者の存在は大切なのだ。そんな信念をもって、今までやってきたし、これからも続けていこうと思う。

【更なる伝説へ】2011年加筆
さて、こんな訳ではじまって、続いてきたネルグイコンサートだったが、2007年からはカザフ人のクグルシン氏をメンバーに加え、さらなる進化を遂げることになる。
北アジアの2大遊牧民族カザフ人とモンゴル人によるセッションをレパートリーに加えて、「遊牧の民の調べ」を広く届けるようになった。モンゴル国では、この二つの民族が、それぞれの民族楽器で相手の民族音楽を奏でること自体が珍しく、まして、一緒にやるなど”ありえない”と思っている人が、いまだ、多数いる。
その禁断の文化融合をネルグイ&クグルシンは果たし、新しいコンサートを作り出していくようになったのだ。
が、ネルグイ氏は、酒が好きだった。とてもとても好きだった。酒をある程度で抑えられるととても、いや、むしろより良い演奏になっていたのだが、歳を重ねるにしたがい、飲んでいた酒に飲まれるようになってしまったのだ。日本滞在中は飲酒をある程度に抑えられていたのだが、モンゴルにいたら、浴びるように飲む日々で、体を・・・。長丁場の、しかも、車でずぅっと走り続けるという貧乏コンサートに耐えるのが難しくなってきたのが、見え始めたのが2009年だった。そして、2010年を最後に、”自宅療法”ということになった。”酒を完全に断ち切って、体力回復したら”ということでお休みとあいなった。

しかし、ここで問題になるのはネルグイ氏のような在野の演奏家がいるか?である。社会主義が崩壊してからずいぶんとたち、在野の演奏家たちも高齢になってしまい、ハードなコンサートツアーに耐えられないかもしれないと思われる。が、意外と簡単に見つかってしまった。ネルグイ氏の住むウルジート郡に、同じく在野の演奏家「オランサイハンチ」として、コンクールなどで金メダルを常に争った演奏家ドルジパラム氏とあっさり話がまとまったのだ。以前から彼の存在は聞き及んでいたが、趣味人の彼を捕まえるのは非常に難しく、あえずに随分と時間が経っていたのだ。しかし、今回、人づてに彼にアポイントメントをとりつけ、訪ねていったら、即答「行くよ」だった。我々のコンサートツアーについては、かねてよりネルグイ氏から聞かされていたというのだ。コンサート趣旨もよく理解してくれて、交渉は何の問題もなくまとまった。それが、2010年夏のこと。
そして・・・
2011年1月、ドルジパラム氏は来日した。ネルグイ氏とは全くといっていいほど雰囲気の違う馬頭琴演奏を60カ所で披露、人々をその馬頭琴、そして、歌声で魅了した。彼は様々なジョノンハルを知り、沢山の物語や讃歌を語ることが出来、彼にとっても初めてのはずのカザフの音楽を愛し、それを覚え、新しいアレンジを作るなど、とても意欲的だった。2011年3月に帰国するときには、「今度くるときまでに、子供の頃に録音しておいた沢山のテープを聴いて、古い曲とかを思い出しておくよ。あ、カザフの歌もな。」とまで言っていた。

これからの「遊牧の民の調べコンサート」は毎年、たくさんの新曲をお届けできることになりそうだ。
期待していただきたい。

西村幹也