モンゴルはいくつあるか?
モンゴルは一つでしょう?民族としては一つと言うべきでしょう?
国家と民族をごちゃごちゃにしてはいけないでしょう。
もう、いいかげん、この手の話をするのは飽きました・・・。
しかし、いつまで経っても、「内モンゴル」と「モンゴル国」を区別しろという意見を耳にしますね。
国家としては、すでに区別されていますよ。
でも、民族としてはどちらもモンゴル民族ですね。
文化もモンゴル文化をそれぞれの土地で発展させた形で継承しています。
つまり、どちらもモンゴル。
モンゴルのすごさって、とんでもなく広い地域に広がってなお、モンゴルとして存在していることだと思ってます。
あれも、これも、それも、モンゴル!
それぞれは互いに違うけど、でも、モンゴル。
歴史を見れば、今のモンゴル国が、自力で独立をしたわけではないことや、多くの他地域のモンゴル人たちの
悲願の結果であること、そして、そのために犠牲になった人々がいることがわかるはずです。それとも判らないのか?知らないのか?
モンゴル民族として、独立するために、何かを、どこかを頼り、願い、そしてだまされ、裏切られ、切り捨てられ、
実に、”あの時期”のアジアの政治に翻弄され、最後には、同胞に売られて・・・。
そして、今はその同胞に、同胞であることを拒否され、さげすまれ、馬鹿にされ・・・。
そりゃ、当時のモンゴル人民共和国としては、"ああする”しか独立を維持できなかったのかもしれません。
苦渋の選択だったと思いたいです。その選択を責めることはもはやできないでしょう。
でも、苦渋の選択、断腸の思いであったはずなのに、今は、あっさり、さっぱり、きっぱりと
中国内にいるモンゴル人たちを差別するのはなぜか?私には理解できません。
本当に、チンギスハーンは偉大だったのですね。その寛容さにおいて・・・。
モンゴル国と内モンゴルをはじめとする他のモンゴル民族が住む地域をそれぞれ区別して語ることは必要でしょう。
それぞれに、特徴がありますから。でも、いずれもがモンゴルを冠してしかるべきだと私は思います。
それぞれの地域に住むモンゴル人たちは、皆が皆、みずからをモンゴルであることを誇りに生きてきました。
そして、また、自分自身が独立国家モンゴル国民ではないけれども、独立国家としてのモンゴル国があることを、
自分のことのように誇りに思っています。
「中国大陸を治めた多くの北方アジア民族の中でモンゴルだけが、現代にその名を独立国家として残している」と
胸を張る、中国国籍モンゴル人にたくさん会いました。
私はモンゴル人ではないですから、モンゴル人の感情として、同じに扱われるのは嫌だ!というのは良くわかりません。
でも、関西の人が、関東の人とはちがうぞ!と思っているのとそう大した違いはないと思っています。どちらも日本人だということは
否定しません。ま、ただのお国自慢、故郷自慢程度の話で、馬鹿にしあうこともありはしても、相手が同族であることを否定はしないわけです。
北モンゴルの人が、南モンゴルの人をさげすみ、馬鹿にし、必死になって”妙な区別”をしたがるは滑稽に見えます。
ま、たいして歴史を勉強していない若者に多い傾向ですけどねこういうのは。
年配の方になると、実際に自分の親戚などが国境の向こうにいたりして、同族であるという意識を持つ人もいるわけです。
社会主義時代に断絶させられ、中ソ対立以降、政府のプロパガンダによって誤解を植え付けられた、かわいそうな人々が、
内モンゴル地域に対する何の理解もないままに、差別するんです。
もう、いいかげん、やめましょうよ。そういうのは。
民族の歴史をもっとべんきょうしましょうよ。
さて、モンゴル人たちが、こうやって喧嘩するのは当事者同士のコトですから、ま、勝手にやればいいといえばいいのですが・・・。
これを助長する、アホな日本人には退場願いたいですね。
内モンゴルをはじめとするモンゴル国以外地域の言葉や文化を、自分が知らないからなのか?知りたくないからなのか?
知らないことを覚られたくないからなのか?一緒になって、馬鹿にする日本人がいるわけです。
ちゃんちゃらおかしいのは、内モンゴルの方言を笑う日本人・・・。それも”変なモンゴル語”だと断じて、あざ笑う日本人・・・。
たとえ、どれだけの時間をかけてモンゴル語を勉強したにせよ、決して、一つの言語を、その文化背景について深い洞察が出来るまでに、
習得するなんて言うのは一生かかっても不可能でしょう。
つまり、自分がわからない、わかりえない言葉に、常に出会うと考えるべきで、それを謙虚に受け止めながら、その言語に対する
知識を深めていくはずだと私は考えます。
モンゴル人同士が、お互いの言葉の違いを、変だと感じるのは当然でしょうが、学習者にとっては、どちらの言語も学習対象とするべきですね。
なのに、自分がよくわからない方を、”変だ”と決めつけるのって・・・。ただのアホですな。
鹿児島弁と津軽弁の話者二人の会話を聞く日本語を学習している外国人がいたとして、その人が、どちらかの方言を、あざわらったとしたら?
もしくは、その両方を”変な日本語”だと決めつけたら?
その外国人の知識不足なだけであるのに、”変だ”と断ぜられた言語を話す人は、どうしたらいいのでしょう?
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閑話休題
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モンゴルは、すべてにおいて懐が広いのだと思っているのですが・・・・
了見の狭い、モンゴル人、日本人が増えているのが残念です。
あ、そうそう、草原地域では、あまり、そういった"モンゴル論争"を聞きませんね。
私の話す、へたくそなモンゴル語を聞いても、”どっかのモンゴル人”、”どっかのモンゴル語”だと思うようで、
そのまま受け入れてくれます。
自分とは違うモンゴルをあざ笑うような人々は、中途半端に勉強したとか、学者気取りが多いように感じています。
そういう人々の多くは、モンゴル人にせよ、日本人にせよ、草原生活をきちんと知らない人が多いようにも思えます。
あの大自然ときちんと向き合って生きている人々には、”モンゴル論争”なんて、小さなことにみえるのかもしれません。